「満足の総和」を考えて、仕事を選ぶ
リタイアだけが人生じゃない!大人の夢シリーズ
年金・リストラ・定年が気になる人のために書かれた本です。
不安を抱えているだけでは、問題の解決にはなりません。
本書を読むことから自分の将来への行動を開始してください。
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「人間の幸せは支配する物財の多さによって決まる」と、近代工業社会は説いてきました。
そして、人間は物財の多さを追求する経済人「ホモ・エコノミクス」だと定義した。
「物財の購入に当てられる所得の多さこそが最大の希求である」と言えたのです。
ところが、1980年代に知価革命が始まると、この判断に対して疑問が出てきました。
「本当は、人間は満足の大きさを求めているのではないか」という議論が出てきたわけです。
これが「知価革命論」の出発点です。
物財の多さと満足の大きさは似たものに思えます。
ところが、物財の多さは客観的であり、科学的であり、普遍的です。
自動車一台よりは二台が多い、テーブルセット三人前よりは一ダースが多い、100平米の家よりは200平米の家が大きい、これはどこの国の誰が見てもわかることです。
物財の多さが求めるものであれば、所得の高さによって幸せの尺度が決定づけられます。
ところが、「満足」は主観的です。
美食家のAさんはグルメで満足するけれども、味オンチのBさんは旅行のほうが楽しいと言い、Cさんは音楽がいいと言い、Dさんはブランド・ファッションが好きだと言う。
Eさんは何もしない怠惰が一番楽だと言う。
それぞれ満足が違うのです。
ただし、これはまったく個人的に決まるものではなく、いわゆる「社会主観」によって決まります。
あるブランド品、例えば、エルメスのネクタイは、ある社会集団の間でエルメスの高価なネクタイを締めていると恰好がいい、と言われているから存在するのです。
知価革命によって、人間は社会主観に依存するようになりました。
従って、「満足の総和」は「収入+見栄+好き」と考えることができます。
さらに、中には総和よりも総積「収入×見栄×好き」だという人も出てきたのですね。
足し算派はどれかがゼロでもいいが、積算派はどれかがゼロだと全部ゼロになります。
これからの人生を選ぶに当たっては、自分は「足し算派」か「積算派」かをはっきりさせる必要があります。
例えば、収入がゼロではどうにも辛抱できないと言う人もいます。
好きなことができるなら収入はゼロでもいいと言う人もいます。
「積算派」と「足し算派」には、ある分水嶺があります。
自分は何をもって「満足の総和」とするかということを決意して、「収入追求型」か「見栄重視型」か「好み満足型」か、この三つから選んでほしい。
この選択には時間をかけて、自分の人生観、社会観、美意識、すべてを勘案してよく研究する必要があります。
ホームレスでも幸せな人もいるでしょう。
「見栄」と「収入」を捨てて「好き」に殉じている、と考えれば納得できるでしょう。
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